【ADHDの軌跡/code.9】 不安は人生の旅立ちの始まり

【不安か起きるのは常に未来があるから、逆に考えると未来に向けた生き方のヒントである】

 

拝啓、読者様へ

こんばんは!katohanです!

 

毎日、不安がないというのはとても気持ちの良いことだと思いますか?

 

私はそうは思いません。

そもそも、不安は必ずと言って良いほどあるはずです。

 

不安は将来や未来を考えるから起こる感情です。

むしろ将来や未来をあれこれ考えて行動し続けてきたからこそ人は変化や進化をしてきたといっても過言じゃありません。

 

ネガティブな感情であれど、良くなりたいと思うポジティブな本音からの感情です。

いわば不安=《未来のための布石となる感情》とも言えます。

 

最近巷でよく言われている《引き寄せの法則》《思考は現実化する》という言葉も不安と関係が深いです。

 

ネガティブなことを考えていると、未来はそのままその通りになるという考え方ですね。

 

ただここで大事なのは【考え方を変えるとそこまで怖くない】ということです。

大体の方は不安になるとその未来が嫌だ怖いと一生懸命忘れようとしたり、ついつい悪い想像のループにハマってしまいます。

 

当然なのですが、少なくとも今の現状や自分を参照にして未来がこうなるかもしれないと考えていることが多く、実際道筋として間違っていませんのでそのままですとそりゃそうなるという訳ですね。

 

なので考え方を変える必要性が出て参ります。

ではどうしたらいいのでしょう?

 

答えは簡単なんです。

【今不安に思っていることがどうしたら解決できるのか】それだけを考えます。

 

でも、それを考えてもなかなか行動できない。。。という人もいます。

それは【解決策をやった時とやらなかった時】の結果に差異がなかったり、そもそも重要度が低いから行動に移すほどのものではないからではないでしょうか?

 

人間は必要性に駆られれば何が何でも行動を起こします。

簡単に言うと、行動を起こすための燃料にもなっていない悩みとも言えます。

 

『不安になっている原因や本質がそこではない』それに気付けていない。

 

病気でいうところの高熱が出ていて熱を冷ますことはしているけれど、ただの風邪なのかインフルエンザなのか分からないという捉え方と同じだからです。

 

これは大変危険なことで、どちらも似た症状だったとしても対処法が全く違うはずですし、これでは根本的な解決にならず延々と苦しまされ続けることになってしまいます。

 

不安というのは、今から動き始めれば十分避けれる可能性が高いものですがそれだけに

後で後でと意外と軽く捉えられがちで御座なりにされがちで優先順位も低くされやすいものです。

 

何故その不安があるのか、しっかりと深堀りしていき根本になっている部分の問題にさえ明確に気付くことから始めてみるのはいかがでしょうか?

 

せっかくの自分の人生ですから自分の不安の為にひと肌脱ぐのも一興かと思います。

 

                                 katohanより

【ADHDの軌跡/code.8】人生と心の違和感に気付く。

【人生や心に対しての違和感を無視し続けると、無気力や無関心の原因となる】

 

拝啓、読者様へ

こんにちは《katohan》です。

 

私たちはついつい人を気にし過ぎます。

それこそ自分を置いてけぼりにまでして過剰に人に対して合わせたりし過ぎています。

 

人に合わせること、気にすることは悪いこととは思いません。

ですが、気疲れやストレスといった日常生活まで影響が出てしまうまでになってしまうと結局のところ自分自身にも周りに対しても良いことがありません。

 

自分自身を守ることは、人の為にもなりますし、自分自身の為にもなるのです。

逆に気疲れやストレスになる境界線を分かってそこで無理をせずに境界線を見極めて判断することができれば良いということになります。

 

絶対にできるというところまでは難しいとは思いますがこれを機に自分自身の境界線に意識を伸ばしてどう遣り繰りをしていけばいいかを試行錯誤していくのはいかがでしょうか?

 

                                 katohanより

【ADHDの軌跡/code.7】 〇✖だけで物事は判断できない。《リスクとリターンの話》

【物事を〇✖で判断をするということは、0か100かだけで判断をするということ。大事なことは世の中は0と100だけで成り立っていないと気付くことである】

 

拝啓、読者様へ

こんばんは、katohanです。

 

本当に寒くなって夜中や明け方はコートが手放せなくなって参りました。

急激な温度差から体調を崩さないように気を付けなければですね。

 

さて本日の話題は、物事を〇✖だけでは物事をうまく乗り切ることは難しいかもしれないというお話です。

 

〇✖を置き換えると例えば《やるか、やらないか》という言葉になります。

やるか、やらないかという二択に迫られた時に多くの人は悩みます。

 

悩んだ挙句、『なんとなく』やるか、やらないかを決めます。

さらに言うと、その人の心理状態によって恐らくですが答えはすぐ右往左往します。

 

人生の選択の時の基準を《なんとなくや自分の気持ち》を優先してしまうと、確固たる理由なしに行動している。

そうなると自分の考えに強い軸や意志がないので簡単に他人や外部環境次第ですぐに影響されて操作される可能性が高いのです。

 

特に危険なのは詐欺師に遭遇した時です。

詐欺師は不安や期待をさせる仄めかすような言葉を巧みに使って心や思考を誘導したり、ブレさせようとして来るのです。

 

例えば【そのほうが確かに良さそう!】や【それは確かに不味いからどうにかしないと!】とワクワクさせたり、焦らせたりしてきたりとします。

 

そうならない為には自分軸をしっかりと確認する必要があります。

具体的には、【目的意識】を確認することが大切です。

 

お金を稼ぎたいということであれば、それを使うことで本当に自分が考えている流れで稼ぐことができるのかと考えることです。

 

具体的にいうなら、お金を稼ぐだけでなく自分が思っているような時間や場所で自分が思い描くスケジュール通りに遂行できるのかといった感じです。

 

お客様が多いような商売であればクレーム対応や作業で人手が必要になり人を雇うような経費が発生します。

 

最初は思うようにいかなくともいつ頃には自分の考えた状態が整備できるのか。

リスクとリターン面で考えてできるなと思えばやる。難しければやらない。

そうしっかり考えて判断することが必要です。

 

                                katohanより 

【ADHDの軌跡/code.6】 生きている間に何かが見つかるというより、生きたい理由を掴みとっていく。

『受け身では流されて揺蕩うだけでは何も見えず知ることもできず、何かを得ようと考えを変えることで見えている世界が変わり、物事から自然と意味も感じ取れるようになる。』

 

拝啓、読者様へ

こんにちは、《katohan》です。

 

今日はお生憎の雨でしたが上がり始めて参りました。

 

さて、私たちは日常でついつい受け身になりがちです。

どうしても物事に対して及び腰になったり、横着をしてしまいます。

 

受け身であることが悪いということはありませんが、受け身でいるとどうしても感受性が悪くなってしまって、物事に対して鈍感になりやすくなってしまいます。

それ以上に自ら動かなくても確かにチャンスが来ることはあっても自ら動いていく人と比べてしまうと圧倒的にその頻度が変わってしまいます。

 

(そうはいっても。。)という気持ちはわかります。

なので、9対1の割合からでもいいので少しだけ動くということをしてみていただきたいのです。

 

いつも家にいる人はたまにでいいので、散歩や買い物にわざと出かけてみたりする程度です。目の前の公園で風にあたる程度でも。

 

そういって行動をしていくとひょんなタイミングで出来事が起こったりします。

直接関係はなくとも何かが起こる経験を積み重ねることで自身が変わるきっかけになるかもしれません。

 

                                 katohanより

【ADHDの軌跡/code.5】 自分の生きる道を見つけたいなら、自分を見つけること。

『自分を理解できていないなら、自分が何をしたいのかだって分かるわけがない』

 

拝啓、読者様へ

こんばんは、katohanです。

 

自分自身を知る。そのことを思っている以上に私たちはできていない気がします。

では、どうしたら自分自身を知ることができるのでしょうか?

 

それは自分の過去を思い返すことです、過去とは体験や経験などです。

過去があるから好き嫌い、得意不得意といった判断への指標または材料が得られます。

恐らくですが、夢がない&どうしたいか分からないという方はその判断材料が少ないせいかも知れません。

 

もしくは忙しさや周りを気にしすぎている為に自分自身と向き合う時間や機会を取れていないだけかもしれません。

 

自分の未来を考えたい時には、今までの自分を顧みる機会を設けてみてはいかがでしょうか。

【ADHDの軌跡/code.4】 《目的》と《手段》

『多くの人は目的を疎かにして、手段を選びがちである。目的をどんなに深めても成功を確かにすることはできないが、進む道を見失い辛くなるという点においては大きく貢献することであろう』

 

拝啓、読者様へ。

 

こんばんは、katohanです。

 

私たちは多くの場合は自分の意志決定の際に目的意識を疎かにしがちです。

意志決定ということはほとんどにおいて、手段を選ぶ段階である(例えばやる、やらないを選ぶ)時が多いかと思います。

 

自分がなぜその選択肢を選ぶのか、どうしてその手段でないとダメなのか、

そういった《どうしてか?》という確認が御座なりになっていると思います。

 

就職の時、入れればなんでもいいとなっている学生。

金儲けしたいから儲け話はないかなと探し回ってる誰か。

とにかく寂しさやストレスを発散したくて女の子のお尻やお酒に呑まれる苦労人。

 

多分、なんでも良かったはずが入ったら色々不満を持ってしまって転職を考えたり。

 

多分、儲け話に乗ってみたは良いものの稼げてなかったり、時間ばかり使ってしまったりこんなはずでは。。。とがっかりしていたり、酷いと不眠症になっていたり。

 

多分、女の子や酒と戯れてはみたもののまた満たされなくなってきてすぐにキャバクラや出会い系、居酒屋やバーに通い詰めてフラフラになりながらの帰り道。

 

そんな人生になっていたりはしないでしょうか?

 

私たちは恐らくですが、生きる目的に対して目を背けていたりします。

 

目的なんて持ったら大変そうだし、一喜一憂で疲れそうだし、そもそもできるかどうか分からないものに必死になって上手くいかないでそのまま人生負えちゃったらバカみたいじゃないか。

 

確かにそれもそうです。

 

ただ、曖昧で何となくな日々を送っていて不安や詰まらなさを抱えているようでしたら結局のところ《心が辛いことには変わらない》とも思います。

 

現状に充足感があるようでしたら何も問題はありませんし、とても幸せなことだと思います。

 

もし、現状に違和感や不安や不満があるのであれば一度でもいいので《生きる意味を考え尽くしてみる》という作業をおススメします。

 

生きる意味=生きる目的が見つかるようであれば、《目的に合わせて今の現状を整理したり変えてみる》というのも手かと思います。

 

確認ですが、【今のままでいるのは嫌だという場合に限ります】

 

つまり、やってもやらなくても辛いならやってみてみることもやぶさかではないのかなという提案になります。

 

やるとしても前提として《自分と相談しながら》無理矢理に進めないこと。

マイペースにやれば辛くありません。

 

やってて辛いようであれば、辞めるのも休むのも変更するのも当然OK。

頑張り屋さんは【正しい頑張り方】を見つければとても伸びます。

のんびり屋はマイペースを貫けばそれで問題ありません。求める次第でペースは変わりますから。【適正なマイペース】を意識することは大切かもしれません。

 

なんにせよ、【万事はどのような目的があるか次第】

そういった人生の基盤、土台から設計、構築、確認、改善していくことが大切ではと思っています。

 

もし、『目的、目標が見つからない』ということであれば、【手段】つまり何かやってみるということも手です。

 

どんなに沢山の経験や体験をしても一生で全てを得ることはまずできません。

逆にいうとそれほどまでに自分の人生を一変させるものが世の中には沢山あるということでもあります。

 

全てを知ったと思って達観するのも良いのですが、それだとほとんどの物がつまらなくなってしまうかもしれません。

どうせなら人生はまだまだとワクワクしてみて生きてみると面白いかもしれません。

 

                                 katohanより

【ADHDの軌跡/code.3】 何を信じればいいか分からない時こそ信じるもの

『何を信じるかはあなた次第だ、そうつまりあなた自身の心と向き合う時だ』

 

注意:心の傷を癒すブログではなく、人生においての考え方を書いています。

 

自分自身と向き合うものなのでギクッと思うような内容もありますのでネガティブになってしまう方や優しい言葉をかけられたい方はブラウザバック等おススメいたします。

 

拝啓、読者様へ

 

それでは深夜にこんばんは、katohanです。

 

 

度々、自分達に問い掛かってくる《何を信じたらいいか》

 

信じていたものが前触れもなく変わってしまった時、

信じていたものが跡形もなく消えてしまった時、

 

そんな時、私たちは多くの場合何を信じたらいいか分からなくなると思います。

 

ただ、気付かなくてはいけないのは【信じる=思い込み】であることということです。

そしてもう一つ、自分自身以外の物事に対して信じるというのは【押しつけ】ともいえます。

 

この世には時間という概念があります。

時間が経てば古くなるものもありますし、物事の事情も変わってくるということを失念している人は少なくありません。

 

かくいう自分もその一人です。

人に限らず物事には事情があるというのに、自分にとって都合が悪くなれば勝手に心証を悪くしてしまったりしていました。

 

ただ,これは大変押しつけがましい分けです。

相手のことを考えずに自分の都合の良いように相手を判断してしまっているわけです。

 

【約束が守れず、その上連絡がなかった】ということは誰にもあることだと思います。

よくあることにも関わらず私たちは相手約束を守れなかった時に怒り狂います。

 

ここで言いたいことは約束は守らなくていいということではありません。

 

【どうなるか分からないあやふやな事象に対して、はなっから決め込んでいる】

確定されていない物事に対して、確定される前から私たちは自分で勝手に決め込んで一喜一憂しているということになります。

 

信じるという言葉を自分に都合よく使っていると結局は誰に為にもならない分けです。

 

では、信じるという言葉は何に対して使うのか。。

 

答えは【自分の意志】です。

自分が生きる意味や信念、目的などが意志となります。

 

これ以外で信じようとしてもああでもない、こうでもないと繰り返すことになります。

 

極論《誰かを信じる意志》でも良いです。

例え結果的に相手に裏切られたとしても、相手を信じようとする意志を貫き通したら言い訳です。

 

え、それやだなってことでしたらご自身の意志はそれではないということですね。

なんにせよ何かを信じる前に信じる目的や意味、信念は何なのか。

そしてそれは必ず、外的要因ではなく内的要因であること。

(あいつはまじめだからとか、常識だから。ではなく自分が信じると決めたなど)

 

まとめます。

 

『何を信じたらいいか分からない時は自分の意志を信じること。

その意志については必ず内的要因からくるもので決めること。』

 

それが周りだけでなく、自分自身の為にもなるかもしれません。

 

                                 katohanより