【ADHDの軌跡/code.12】 【何かを求めれば求めるほど、代わりに何か差し出す必要がある】

『多くは求めるばかりで何も差し出そうとはしない、だからこそ多くの場合、手に入れるころができないでいる』

 

拝啓、読者様へ

夜中に湧いて出てきたりもする、katohanです。

 

さて、自分自身がとても良い例なのですが夢物語ばかりでその為に何かを差し出すことをしなかった頃の自分はとにかく言うことは一丁前ですが何も得られず、ややもすれば何も達成することもそもそも物事が進むこともありませんでした。

 

夢や希望を持つことはとても大切なのですが、この現実世界は願いを叶える代わりに何かを差し出すことが必要不可欠となっています。

 

私たちはそれを分かっていながら、差し出すこと渋ったりします。

何を差し出せばいいか分かっているならまだ良いのですが何を差し出せばいいか分からない時があります。

 

体力が欲しければ、何かスポーツで練習したり走ったりします。

 

知力を付けたければ、新しい知識や考え方を会得したり、頭を使う訓練でしょうか?

 

お金が欲しければ、体力や知力、時間を使って準備したり、仲間に頼ったりします。

 

愛が欲しければ、先に自ら好意を態度や行動で示したり、一緒になる良い点を提案したりするかもしれません。

 

何かを求めるのであれば、それなりのものを先に自ら差し出すことが大切です。

 

親子の関係で《無償の愛》という言葉がありますがそれは嘘だと思います。

理由は簡単です。親は先にわが子から《未来》を受け取っている、そう思うからです。

 

求めるなら先に自ら必要なものを差し出しましょう。

出せば出すほど、入ってくるものもそれなりに入ってくるようになります。

 

ただし、無茶をしたり無理をしたり無謀をしたりしてはいけません。

なぜなら【継続すること】こそ何においても欠かせない差し出すべきモノだと考えられるからです。

 

                                 katohanより